6月1日に39才になった。2013年にLHW?でCDを出してから12年もの時が経った。相変わらず状況はひどい。金はないし、ライフラインは止まっている。相変わらず食うものには困り、健康状態は芳しくない。当時と違うことといえば、いまは一応働いてはいるということぐらいだ。当時はアルバイトを一ヶ月でやめたり、飛んだり、日雇いの派遣をしたり、家賃を40万円ぐらい滞納したり、ほんとうにひどかった。いや別に今も大差ないけど。今はライターの仕事がいちおうあり、ラジオも定期的な収入となっているほか、アルバイトをして生活しているので、家賃を滞納せずにまあ大体当時と同じ生活水準で生きることができている。ただ、状況はこれまでより悪い点もある。人生単位で積み上げてきた目に見えない負債が音を出して軋み始めている。破綻は近い。最近、自分の性格、または自分の有害さゆえに友人たちに見限られるということも多くなってきた。自分は自分が不安であったり、怒っていたり、怖がっているときに自分の感情をうまくコントロールできない。また、自分が孤独なとき過剰なまでに誰かに好かれようとしてしまうことがある。金の無さ、増える負担、友人も身の回りからいなくなり、絶望に瀕しているときに自分の曲を聴くと、これほど自分にフィットする音楽もないなと思う。いつだって客観的なふりをしながら、私小説に近いような楽曲を作ってきたというわけだ。おれは、こういう状況にならなければ、自分の音楽が何かがわからないし、自分が何を作れるかもわかっていなかったような気がする。いま、自分が何を作っていたのか、ようやくわかってきた。 「ようやく戻ってきた」。そう感じる。父親がなくなり、オリンピック騒動があり、恋人に見限られ、人を信じられなくなり、自分の能力や自分が行うことを信じられなくなり、表に立つことを恐れ、隠れて、やる気が出た時だけ何かを作ろうとしてみては、ピンとこず、うまくいかずに、うまく作れないというような……長き眠りのような日々を経て、12年前のような、まだ何者でもない「いつも」の自分の目線がようやく戻ってきた気がする。いまはなにか書くことがあると思える。ここまで少しも止まらず、考えずに文章を書けている。自分にとって作るということは、こういうある種の切迫感の中でしか生まれないことなんだと本当におもう。世界が自分を必要としてなくても、作...